クマノザクラの苗木

すでにインターネットや道の駅などでクマノザクラの苗木が販売されているのを見かけますが、無秩序な植物の増殖や販売は控えるべきだというのが樹木医甚兵衛の考えです。

植物は動物とは異なり、ひとつの個体が自らの意思で移動することはありません。植物の周りには、ヒト以外にもたくさんの生物が集まってきて、花粉や種子を運んでいます。ヒトはこれらの生物の活動をコントロールすることはできません。

植物を人為的に移動させることは様々なリスクを伴っており、自然界の中で長いあいだ生物がたどってきた歴史、あるいは種や個体群の存続に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため、樹木甚兵衛の栽培した苗木は適切なプロセスを経て植栽されることにこだわっています。また、用途や維持管理の方法が樹木医甚兵衛の活動趣旨に反する場合、販売や植栽をお断りしています。

これには何ら法的な拘束力はなく、エシカルな考えに基づいた判断ですが、すべての生物と生態系保全のために、この考え方が標準となることを望んでいます。僕が古座川に移住してからそれほど長い期間がたっているわけではありませんが、すでにたくさんの植物部群落が実際に失われていくのを何度も目にしてきました。

ここでは植物を扱う人に考えてほしいいくつかの考えをご紹介したいと思います。

母樹林からの増殖

植物を経済利用しようとするのであれば、適切な方法によって増殖された個体を流通させる必要があります。人為的に管理された母樹林を造成し、自然からの搾取に依存しない生産体系を構築することが不可欠です。

過去の山野草ブームでは経済優先の考えのもと、個体そのものの盗掘が繰り返されました。現在は大きなブームは去っていますが、フリマサイトやネットオークションなどのインターネットを介した個人販売流行などからか、その被害は減りません。実際にササユリの花を切り摘んで盗んでいる花卉の販売業者に対して注意をしたこともあります。

個体同士、あるいは個体群同士のつながりが分断されると、本来あったはずの遺伝的な交流は失われ、結果として地域絶滅、そして絶滅へと突き進んでいくことがあります。いちど加速度的に進み出したこの動きをとめることは容易ではありません。

種子のだけの採取であっても、1-2年生草本類にとっては種を存続する機会を奪われるほどの大きな損失になり得ます。クマノザクラの果実(サクランボ)は、多くの鳥類やイタチ、タヌキなどの小型の哺乳類の食料となっており、その影響が断定的だとする主張はヒトのエゴイズムです。

もちろん母樹林を造成するまでの期間は自生個体から種子や穂木などを採取する必要がありますが、それであっても自然からの搾取を極力控えるように配慮すべきです。

法令の遵守

採取にあたっては法令を遵守する必要があります。植物の所有者は基本的にはその植物が存在する土地の所有者です。少なくとも経済利用するという目的がある場合は、厳密にこれを管理しなければならないことは言うまでもありません。

また、所有者の許可が得られればそれですべて良いというものではなく、常に自然環境に与える影響を最小限にとどめることができるよう、細心の注意を払うことが重要です。

トレーサビリティ

多くの生物は本来個体ごとにそれぞれ異なる遺伝子を持っており、クマノザクラについても例外ではありません。動き回る動物よりも、むしろ厳重に遺伝情報の管理がされなければならないのが、自らは移動しない植物です。

全国的に広く分布するような植物を扱う場合、同じ種であっても遺伝的交流のない地域由来の系統である可能性があります。このような場合、それを無視することで地域ごとの特異性が失われる可能性があります。これを防ぐことを目的として苗木などの産地や系統を明記し、記録しながら生産から消費や廃棄までの過程を追跡できるような仕組みのことをトレーサビリティと言います。

苗木にいくら詳細な情報を付与していたとしても、消費者が適切な判断をすることができなければまったく意味がありません。その場合、トレーサビリティは生産や販売に関わったものが責任を逃れるための単なる免罪符に成り下がってしまいます。植物であれば、枯死するまで追跡がすることで初めて意味のあるものとなります。

対面販売

不特定多数を対象に苗木を販売するようなインターネットを介しての販売や、代理販売などの知識のない者が無秩序に販売するような流通方法に関しては見直す必要があります。植物は動くことも話すこともしませんが、ひとつの生命であることに間違いはありません。細心の注意を払っていたとしても、心を込めて維持管理をしていたとしても、枯死することはもちろんありますが、粗末に扱うこととは全く異なる意味があります。

丁寧に対面販売をすることで、適切な管理や植物の移動に伴う様々なリスクがあることを説明することが重要です。何よりもお互いが顔の見えた状態で販売を行うことは、生命を扱う責任はもちろん、繁殖干渉や遺伝的撹乱などの生命が自然環境に対して与える影響について、しっかりと伝えるという意味で非常に意味があると思います。

地域性苗木(地産地消)

追跡が不十分でトレーサビリティの効果が発揮されなかったとしても、あるいはそれが困難であるとしても、そもそも苗木を流通させる範囲を限定することで、植物の移動に関わるリスクを回避できる可能性は大きく高まります。それが地域性苗木の活用です。それはつまり増殖用の種子や穂木の採取から植栽という消費までの範囲を限定するということであり、一般的に浸透した言葉で言い換えるとすれば、苗木の地産地消です。トレーサビリティとうまく組み合わせることで管理コストを下げるという工夫も有効かもしれません。

また、この考えは都市緑化に自生種を用いる造園や園芸の文化を否定するものではありません。むしろ積極的に活用して自生種の現状を訴えていくことも可能だと考えています。それは、都市では地方とは異なり樹木の維持管理が計画的に行われていくこと。そのまま放置されて野生化する心配がほとんどないこと。生活圏周辺に残された自然は断片的で影響を与えるリスクが小さいことなどが主な理由です。それぞれの場所、それぞれの種に応じて、もっとも適した方法を選択する画一的ではない柔軟な考え方が求められています。

維持管理

植栽が人為的である以上、それは厳密には自然とは異なるものです。そのために木を植えたらそれで終わりというのではなく、責任をもって最後まで維持管理を続けていく必要があります。植栽は終わりではなく、始まりです。植栽そのものは決して目的とはなり得ません。

木を植えて何をその先に何を求めるのか?地域振興、防災、環境美化そこにはそれぞれに達成したい目標があるはずですが、樹木を活用してどのような地域をつくり、どのような環境にしたいのか、達成したい未来を具体的に想像し、それを実現させるために継続的に努力する必要があります。樹木を健全な状態で維持することができなければ、どのような目的も達成できず、むしろ逆効果となります。

植栽が目的となってしまい、責任ある管理が行われず、樹勢が衰退したまま放置されたり枯死したまま放置される結果をこれまでにも多く目にしてきました。植物を扱う者には自然に対する謙虚な心が求められるということを、どうか忘れないでください。

植栽終わりではなく、始まりです。

断る勇気

そして生産・販売者として果たすべき最も重要なことは、適切ではない利用であることが確認された場合に、責任をもって断るこということです。逆の立場である購入者が果たすべきことは、適切なプロセスを経た苗木を、適切な場所で消費し、責任をもって維持管理を行えない場合には、計画そのものを見直すということです。目先の小さな利益のために、自然環境を破壊するリスクを無視することは許されることではありません。

多くの人が地域活性化という合言葉を盾に、偽りの環境保護を武器にして、クマノザクラを無秩序に増殖し、販売し、植栽しています。

ひとにぎりの権威を持った頭の良い人は、悪意をもってこれを利用しようとしています。そしてひとにぎりの頭の良くない人は、悪意の言葉を盲目的に信じています。圧倒的多数の人は、不都合な真実から目を逸らして見えないふりをしているか、ただの傍観者となってその場をやり過ごし、そのサイレントマジョリティによって、世の中の正義は決定されるのです。正義は人をもっとも残酷にさせるのだそうです。

そうやって争う結果、犠牲になるのは常に言葉を発することができない者たちなのだということを忘れてはいけません。ここに挙げたことはすべて、法令によって制限されているものではありません。ですがこれらの問題と向き合わない限り、複雑で豊かな生態系はものすごいスピードで失われていくことでしょう。

あがらの桜をまもるんや!

【あがらの桜をまもるんや!】クマノザクラの桜守

クマノザクラとクマノビト 書籍販売

クマノザクラとクマノビト
国内では約100年ぶりに新種のサクラとして報告されたクマノザクラ。しかしその存在は、古座川町の人々にとってはごく身近なものでした。本書では誰にでもわかりやすい簡潔な文章と、美しい写真で、クマノザクラとクマノビトとの関係を紹介しています。古座...

クマノザクラとクマノビトを購入していただけると、それが樹木医甚兵衛の活動資金となります。

Amazonもしくは お問い合わせ ページから直接ご注文ください。

タイトルとURLをコピーしました