神玉神社鯛釣り祭り

2016年を最後に、800年の伝統の灯は消えようとしていました。樹木医甚兵衛の矢倉寛之は、居住者がいなくなった山奥の限界集落に住所を移し、たったひとりでクマノザクラを植栽・管理しながら集落を維持し、鯛釣り祭りの開催を支援することで伝統文化を守る活動を続けています。

鯛釣り祭り は、小森川集落に鎮座する神玉神社の例祭です。毎年12月5日に開催しています。

特殊神事

山奥の小さな神社でなぜ鯛を釣る仕草を行うのか、詳細は不明ですが、小森川集落の人々によって脈々と受け継がれてきました。こじんまりとした神社で行われる小さなお祭りですが、紀南地方の奇祭として知られ、そこには不思議な魅力があります。

鯛釣り神事の他に、弓矢を使って鳥を射る仕草を行う鳥追い神事、ぐつぐつと鍋を煮立たせる湯立神事とそれを使って芋を洗う芋洗い神事、参加者全員で大声を発しながら柿の種を放り投げる猿追い神事(柿の種神事)など、風変わりな神事がとり行われています。

もちまき

和歌山県のお祭りといえば餅まきが有名ですが、もちろんこの鯛釣り祭りでも盛大な餅まきを実施しています。お祭りの見学や参加は誰でも自由に行うことができます。曜日に関わらず12月5日に開催していますので、ぜひ小森川集落に遊びに来てください。

樹木医甚兵衛では、微力ながらこの鯛釣り祭りの開催を支援しています。多くの方の参加によってお祭りがにぎやかになり、小森川集落が活気にあふれることを願っています。

皆さんの参加を心よりお待ちしております。

神玉神社

鎮座地〒649-4211 和歌山県東牟婁郡古座川町小森川411番地
祭神天児屋根命 諏訪大神
例祭日12月5日
特殊神事鯛釣り神事 鳥追い神事 芋洗い神事 柿の種神事 湯立神事
主たる建造物本殿(木造 2、63㎡)
境内地515㎡ 山林495㎡
氏子区域古座川町小森川(旧小川村)

古来、成見川草木屋に鎮座していたのを寛永7(1630)年に奥番栗栖に移転創立する。

当時の村名篭川村とある。

享保20(1736)年、寛政2(1800)年、文化8(1811)年、明治6年に御修理される。

ここは落人の里ではないかといわれるが、はっきりしたことはわからない。

もともと成見川のもっと上流にあったが、ここへ引っ越してくる時半分は色川村樫原へ行ったそうである。

その色川村へ行った人も、今もこの神社へ来て一緒に祭りをすることがある。

また、古座川の秘境といわれる当社では、郷愁を誘う例祭が行われ、小森川の氏子のほか樫原の人、新宮などへ移住した人達の参列者も多く見られる。

更に、当社では以下の特殊神事も行われている。

【湯立神事】

急ごしらえのかまどに火がつけられ、グラグラ煮立った湯の中へお祓いをするための笹を入れていかき回し、神職が氏子達に笹についた熱湯をかぶせる神事。

【鯛釣り神事】

境内に座った氏子達は、桧材で出来た皿に盛って神前に供えてあったつるし柿・餅・赤飯のうち、柿を食べて種を残し、その他の物は紙に包み皿を空にしておく。

古座の海から汲んできた海水を竹筒に入れ、藻が供えられた社殿は厳かな雰囲気が漂っている。

祭り当番が釣竿を持って、「きょうは、鯛釣りに来ました」「釣った、釣った」「鯛に釣りきられた」と、氏子の前に置かれている皿を鯛にみたて、腰につけている籠に入れる。

これを数えて「3×9(さんく)27匹釣った。大漁、大漁」という神事。

【芋洗い神事】

鯛釣り神事のあと「芋を洗います」と、先ほどの空皿を芋にみたて、上下に動かし芋洗いの真似をする神事。

【鳥追い神事】

祭り当番が神事の弓矢を手に、「鳥をうちに来ました」と3本の矢のうち2本を射て、1本を氏子に預ける神事。

【柿の種神事】

神職を先頭に氏子たちが境内を3回まわり、残しておいた柿の種を境内の外へ投げ、サルを追っぱらう神事。

以上の神事を順次行って祭典を終えるが、桧材の皿に盛られたつるし柿、餅、赤飯は何を意味しているのか、山深い小森川でなぜ「鯛」なのか意味は不詳である。

また、小森川ではシダを敷いてはいけないと言ういい伝えがある。

これは、芋を洗っていたおばあさんの目の前に飛んで来た鳥が川の真中の石に止まり、シダを敷いた籠を差し出したところ、この上に止まり「かしこい鳥だ、もしかしたら神様の使いなのかも」ということから、シダを神聖なものとしてあがめられている為である。

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