河津桜は早咲きであることが知られ、全国的に緑化樹種として重宝されています。観光資源としてPRしている地域も多いのが現状ですが、クマノザクラが分布する地域にとって、‘河津桜’を活用していくことはかなり大きなリスクを伴うと僕は考えています。ヒトの安易な経済本位の思考が、クマノザクラの減少という自然生態系の破壊に拍車をかける重大な影響を及ぼす可能性があります。
この投稿では、いままでの調査をもとに、外来の河津桜が自生のクマノザクラに対して悪影響を及ぼす可能性とその理由について詳しく解説します。
また、今回は古座川町のクマノザクラを視点にして、河津桜が持つ問題点についてまとめていますが、実際にはサクラの仲間は日本全国に分布しており、そして大量に植栽されています。今回ここで紹介する例は、この問題に関する氷山の一角であることを想像してください。
このほかに【オオシマザクラの大きな脅威】や【クマノザクラの植樹】などのページを併せて読んでいただくことで、より理解を深めることができると思います。
‘河津桜’とは?
河津桜(Cerasus×kanzakura’Kawazu-zakura’Tsunoda&Funatsu)は、カンヒザクラとオオシマザクラとの種間雑種であると考えられている栽培品種です。伊豆半島で発見された若木が静岡県の河津町の民家に移植されたとされています。それをもとに増殖された個体が大量に植栽され、観光資源となっているほか、苗木は全国的に流通し、ホームセンターなどで誰でも簡単に購入できるようになっています。
開花が2月下旬ごろと早いことが最大の特徴であると言えます。
自家不和合性(じかふわごうせい)
サクラにはもともと自家受粉をしないための仕組みが備わっており、これを自家不和合性といいます。河津桜や染井吉野などの栽培品種は挿木や接木などの方法によって人工的に増殖されたクローン個体です。人間から見ると別々の木がたくさん存在しているように見えますが、これらは全く同じ遺伝子を持っていることが確認されています。この自家不和合性によって、河津桜と河津桜、染井吉野と染井吉野の組み合わせでは受粉することができません。
河津桜の雌しべに受粉することができるのは、河津桜以外の開花時期の重複する別の種のサクラだけであり、河津桜と河津桜のこどもは通常生まれることがありません。古座川町でこの条件に当てはまるサクラはクマノザクラだけです。古座川町で河津桜にサクランボがなっていれば、父親はクマノザクラであると判断することができます。
また、「染井吉野は結実しない」と誤認をされている方がいます。それはこの自家不和合性という性質が主な要因だと考えられます。都市部の緑地などに植栽された染井吉野の集団は、一見すると個体群に見えますが正確にはクローンの集団であり、遺伝的に単一です。緑地帯はそれぞれが断片的であり、分断されて孤立している場合が多く、その場合受粉相手が存在しません。そのために結実する機会が少なく、結果として実がならないものだと勘違いされてしまうのです。受粉相手さえいれば、染井吉野も結実します。
ポリネーター(花粉媒介者)
植物の受粉に際して、花から花へと花粉を運ぶ生物のことをポリネーターと呼びます。古座川町のサクラにおいては、主にハチやハナアブなどの昆虫が中心となっていることを確認しています。また、メジロなどの小鳥も盛んに花の蜜を舐めています。花を摘まんで落としながら舐める場合もありますが、下から顔を突っ込むようにして舐めている姿も観察できます。「メジロには花粉が付着せず、花粉を媒介することはない」と主張している研究者もいますが、実際に舐めている様子をよく観察すればこの主張は間違いであることにすぐに気づきます。また、確認されていないだけで他にも関わる生物はいるかもしれません。
このようなポリネーターの活動する範囲が、受粉する可能性の高い範囲ということになります。媒介の中心となっている二ホンミツバチやマルハナバチは、採蜜のために2-3kmの範囲を移動していることが報告されています。メジロなどの鳥類の生態については残念ながら詳しくわかりませんが、もっと広い範囲を飛翔する能力はあるでしょう。
このように様々な生物が関わっていることを考慮すると、サクラが受粉しないために必要な離隔距離は、「最低でも3km」と考えるのが合理的だと判断できます。
種子散布
サクラの種子は、そのまま重力によって落下する「重力散布」、落ちた種子が川の流れに乗って運ばれる「水流散布」そして「被食型動物散布」など、いくつかの様式が複合的に関わっていると考えられます。
動物では、鳥類やイタチ、タヌキなどの小型の哺乳類が摂食し、糞に交じって散布されていることを直接確認しているほか、ツキノワグマなどの大型の哺乳類の糞に含まれていることも報告されています。このことを考えると、これらの動物の活動範囲が種子の運ばれる範囲と考えて良さそうです。つまり、山に自生するサクラの種子が庭先で発芽することもごく当たり前のことですし、条件さえ整えば河原や公園、民家に植栽されたサクラの種子が山奥で発芽されることも十分にあり得るということです。
繁殖干渉
繁殖干渉は、ある生物種の繁殖活動が別の生物種の繁殖過程に干渉を及ぼすことで、外来のサクラの花粉が自生のサクラの雌蕊に付着することなどによって結実率が低下したり、雑種形成によって同種との繁殖機会が減少することを言います。
植物の受粉は、たくさんの花粉が限られた雌しべを競い合うイス取りゲームのようなものです。サクラの場合において存在するルールは「早い者勝ち」と「自家不和合性」くらいでしょうか?つまり、「雌しべに一番早くたどり着いた別のサクラの花粉」が勝者となります。
クマノザクラの立場で繁殖干渉について考えみましょう。分かりやすくするため、クマノザクラと河津桜との関係にしぼって話を進めてみます。
人が植栽を行わなかった場合、古座川町にはクマノザクラとヤマザクラの2種類のサクラしか存在していないはずです。クマノザクラと(自生の)ヤマザクラは、長い歴史の中で棲み分けが成立しており、開花の時期がほとんど重なりません。あるクマノザクラが開花するとき、周囲に受粉できる可能性を持つサクラはクマノザクラだけしか存在しないので、原則的にクマノザクラの雌しべにはクマノザクラの花粉のみが到達し、受粉します。その結果として、クマノザクラ同士の子どもが生まれます。
ところが河津桜が大量に存在している場合、河津桜の開花時期はクマノザクラよりも早いので、あるクマノザクラが開花したときにはすでに河津桜が開花しています。クマノザクラの雌しべに先に到達する可能性があるのは、別のクマノザクラの花粉か、河津桜の花粉ということになります。雌しべは一度しか機能できないため、河津桜との受粉が成立してしまうと、本来行われるはずだった純粋なクマノザクラ同士が受粉する機会が奪われることになります。
結ばれるはずだったあるクマノザクラと別のクマノザクラは、ヒトが持ち込んだ河津桜の存在によって邪魔をされ、子どもを残すことができなくなってしまうのです。これが多くの場所で繰り返されるようなことになれば、種としての繁殖機会は減少し、個体群の存続に大きな影響を及ぼす可能性があります。
遺伝的撹乱
遺伝的撹乱とは、人による生物の移動により、自生のサクラの遺伝子が本来のものと異なる遺伝的構造に変化してしまう現象を言います。自生のサクラの歴史、種や個体群の存続に悪影響が生じる可能性があります。
河津桜とクマノザクラとの種間雑種の遺伝子は、クマノザクラの遺伝子に対して元の河津桜よりもさらに混じりやすくなることが予想され、浸透が加速度的に進んでいくことが想定されます。しかしそれを外見から一本ずつ判断していくことは極めて困難です。ある個体群の中に一度別の遺伝子が混入すれば、取り除くことは現実的に不可能であり、取り返しがつきません。顕著に可視化される前に対策を取ることが重要です。
クマノザクラが長いあいだ熊野の地で育んできた歴史は、人の手によって塗り替えられ、最悪の場合形質が大きく変化したり、性質が変わることで熊野の地に適応できなくなったり、絶滅することが考えられます。
種子を採取し、河津桜×クマノザクラと推定される種間雑種が正常に生育することは栽培試験によって確認しています。つまり条件さえ整えば、自然環境の中で発芽することができるということです。しかも、カンヒザクラやオオシマザクラの血が入ったこの種間雑種は、繊細なクマノザクラよりもはるかに強健で繁殖力も高い可能性があります。
このような個体が実際すでに山の中で存在しているのかどうかは、大規模な予算を組んで調査を行わない限り、確認する術がありません。
色々なサクラを楽しみたければ
そうはいっても、地方の人間だっていろいろなサクラを楽しみたい。そういう気持ちを否定するつもりは一切ありません。造園や園芸は日本が誇るべき芸術文化であり、植物を愛でる心を否定するのはそれこそ本末転倒です。
もっとも平和的な解決方法として、本来の場所に行って楽しむということがあげられます。河津桜を楽しみたいのであれば、河津町に行ってお花見をする。これが最も平和的な解決策です。どうしても近くで見たいというのであれば、きちんとした維持管理を計画的に実践するということが重要です。少なくとも河原の空いているところに無秩序に大量に植栽するなどの行為はやめるべきです。
また、開花の時期が重ならない種や、繁殖力の低い種を選んで植栽するということにも意味があります。雌しべが葉に変化したり、雄しべが花弁に変化して繁殖能力が著しく低い栽培品種もあります。これらをうまく活用することで生態系に与える影響を抑えながら異なるサクラを楽しむことも、可能になると考えられます。
いずれにしても、自然環境に対して一定の配慮をすること、そして節度をもって楽しむことが何よりも重要です。
どう向き合うのか?
最初にも触れていますが、日本全国にはたくさんのサクラが自生しています。そこに染井吉野、河津桜、オオシマザクラなどの地域外から持ち込まれたサクラが大量に植栽され、様々な形で影響を及ぼし合っています。河津桜とクマノザクラとの関係は、あくまでもそのごく一部に過ぎないということを忘れてはいけません。ここで紹介してきた言葉は聞きなじみのないものかもしれませんが、ひとつひとつ具体的にその場面を想像していけば、子どもでも理解できる簡単な内容です。
最も問題なのは、古座川のような自然と共存する山村で河津桜を植栽するという行為が、生態系に悪影響を与えるリスクがあることをほとんどの人が全く知らないということです。むしろ地域活性につながる良いこととしてとらえているでしょう。そして知らず知らずのうちに、クマノザクラを減少へと追い込んでいく可能性があります。この地域が活用し、保護していくサクラがどれであるかということは問うまでもないように思います。
また、このようなことをマスコミや地方自治体、観光協会、表面上の自然保護団体などに対して指摘していますが、一切無視され続けています。これはいまの社会における重大な欠陥です。権威を身にまとった人たちは、いかにも真面目そうな顔をしてもっともそうなことを言っているように見えます。しかしその実はどうでしょう?地域振興という正義を盾に、偽りの自然保護を武器にしています。とりまく人は、不都合な真実からは目を背け、耳をふさいでいるように思います。共通の利益のために払う犠牲の大きさに気づいているのでしょうか?
既に植栽されている‘河津桜’に対して、僕たちがどのように対処するかということは環境問題であると同時に政治問題でもあり、解決は容易ではありません。撤去するにしても、残していくにしても、どちらにしても政治的な判断が必要です。その場の感情や、一部の人の利益によって、安易に判断することは間違いです。そういった身勝手な行動が取り返しのつかない状況を招きます。多くの人に正確な情報を提供し、公平に判断される必要があり、強引に進めてよい問題ではありません。活用するにしても、このような危険性について充分に理解したうえで受け入れる必要があると思います。
当然のことですが、これらの問題において河津桜を悪者とすることは筋違いです。常に植物に罪はありません。その場所ごとに、「そこに相応しいと思えるような守るべき多様な文化」というものがあるのではないか?という提起だと認識していただけると幸いです。河津町にとって河津桜が守るべき地域文化であるのと同じように、古座川町にとって守るべきなのはクマノザクラなのではないでしょうか?なぜわざわざ自分たちの地域の固有種を危険にさらしてまで、他の地域の真似事をする必要があるのでしょうか?僕には疑問でしかありません。
最後に古座川の樹木医として、僕の個人的な見解を述べます。古座川町では、河津桜をはじめとする外来のサクラは可能な限り数を減らしていくこと、新たな導入を行わないこと、必要以上に観光資源としてのPRを行わないこと、そして何よりも、残すのであれば責任をもって適切な維持管理を行っていくことが必要だと考えています。
生態系とは複雑な生命の集合体が織りなす関係性であり、一時的な潤いのために使い捨てにしてよいものではありません。また工業製品のように、すぐに代替品を補填できるものでもありません。
紀南地域の人々は、地域固有のクマノザクラと共に永く暮らしていくのが自然だとは思いませんか?
クマノザクラと共に永く暮らしていくことがこの地域の幸せだとは思いませんか?
あがらの桜をまもるんや!
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